大阪地方裁判所堺支部 昭和41年(ヨ)44号 判決 1966年9月07日
申請人 福井真平 外一五名
被申請人 新拓産業株式会社
主文
本件申請はいずれもこれを却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
事実
一、当事者の求める裁判
申請人らは
本位的請求として、
被申請人は堺市百舌鳥海北町三丁一二五番一六三、宅地二二〇、九九平方メートル、同所同番一六四宅地三二一、一六平方メートル、同所同番一六五宅地二七五、七三平方メートル、地上に、建築中の建物(鉄骨鉄板葺二階建店舗一棟建坪一階約八〇〇、九一平方メートル、二階坪約三六二、五二平方メートル)につき、大阪府知事の許可なくして野菜および生鮮魚介類の販売を業とする者を含む一〇人以上の小売商人に貸付けまたは譲渡する目的で、右建物の全部または一部をその店舗の用に供する右小売商人に貸付け、譲渡し、または占有の移転をしてはならない。
予備的請求とし
被申請人は右建物につき、大阪府知事の許可なくして、右と同目的で右建物の全部または一部を、その店舗の用に供する右小売商人に貸付け、譲渡し、または同人らをして右店舗において営業せしめてはならない。申請費用は被申請人の負坦とする。
との判決を求めた。
被申請人は、
本件申請はこれを却下する。申請費用は申請人らの負担とする。
との判決を求めた。
二、申請人らの申請の理由
申請人らの本申請の理由は別紙申請人の主張として、記載するとおりである。
三、申請の理由に対する被申請人の陳述
被申請人の陳述(答弁および主張)は左記の外別紙被申請人の主張記載のとおりである。
記
本件建物につき、被申請人会社と市場商人との間に既に賃貸借契約がなされ、被申請人が右建物の占有を商人らに引渡した。その時期は昭和四一年四月一五日以降同月二五日までの間である。これは本件仮処分申請以前に行われた店舗賃貸借契約に基づく履行行為としてなされたものであり、本契約は右の各引渡しと同時にこれをなしたのである。被申請人会社が許可なくして本件建物を指定業種を含む一〇店舗以上の小売商人に賃貸し、現在許可なくして営業をしていることは認めるが、右はやがては許可される市場であり、また既に商人らに対し、建物の引渡しは終了しているので申請人らの本件申請は被保全権利を欠くものである。
四、証拠関係<省略>
理由
一、申請人らがその主張のごとき小売市場で、小売商を営む者であること、被申請人が申請人ら主張のごとき建物を所有し、この建物において百舌鳥ストアーなる名称を以つて小売市場を開設するべく商人を募集し、同建物の間仕切を完了して、これをそれぞれ指定業種を含む一〇店舗以上の小売商人に店舗として賃貸し、所定の許可なくして昭和四一年四月二六日右小売市場(以下本件市場と称する)を開店せしむるに至つたものであること、および申請人ら主張のとおり申請人らの市場と被申請人所有の右建物(本件市場)との間隔が、最短距離四〇五メートル、最長距離四六〇メートルであることは、当事者間に争いがない。
そして本件市場の所在地である堺市は、小売商業調整特別措置法(以下単に措置法と略称する)第三条同法施行令の指定区域内にあるところ、大阪府においては、同法第五条一号の許可の該当基準として、大阪府小売市場許可基準内規が定められており、それによると、既存小売市場と新設小売市場との最短距離が七〇〇メートル以上離れていることが、一応の要件となつていることは、当事者弁論の全趣旨に徴しこれを認めることができる。
二、そこで本件仮処分申請の被保全権利の有無の判断につき、まず措置法および同法付属法令の施行から受ける申請人らの利益は、事実上有する単なる反射的利益に過ぎないものであるか、または法的利益であるかにつき考察する。
そもそも措置法は、申請人ら代理人の主張のごとく、小売商業の配置の適正を確保し、以つて無用の競争によつて経営が不合理化することのないよう小売業者を保護し、かつそれがひいて国民経済の健全なる発展に寄与するとの理念の下に制定せられた特別立法であることは、同法制定の目的ならびにその法の精神に照らし明らかなところであり、市場小売商人の過当競争の結果は、申請人ら代理人が主張する国民の消費生活に直結する中小小売市場企業の近代化を阻害するばかりではなく、過当競争の結果、ときには倒産者が続出し、それが連鎖反応を呼んで倒産者は市場以外の他の範囲にまで無限に拡大する虞れがなしとしない、かくては経済上の信用不安を招き、国民経済の健全な進展を阻害する、反面また過当競争は優勝劣敗の結果をもたらし、弱小経営者は、より大なる資本を擁する経営者の出血経営の前に対抗しきれないで、倒産廃業のやむなきにいたり、それがやがては最後に勝ち残つた少数の経営者の独占を許す結果となる。元来地域独占を計画する違法経営者が、あえて多大の出血経営をするのは、弱小商人を駆逐して、これが目的を達成した暁には、それまでの出血を取戻してなお独占による不当利益を獲得することができるから、それが計算づくでの行為である。ところで、そのことによつて不利益を受けるのは一般消費者であることは、いうまでもないところであるから、過当競争は一時的には一般消費者にとり利益をもたらすようにみえるけれども、これを長期的に観察すれば、一般消費者に不利益をもたらすものというべきである。そのように市場小売商の過当競争による弊害は小売業者の経営を危くし、かつ国民経済の健全な発展を阻害するものなるが故に国は措置法を設けその過当競争の因をなす違法市場設置者に対し重い罰金刑を以つて望みその違反を防止せんとしているのである。
この点について、被申請人代理人は、右措置法制定の目的は小売商業全体の経営の安定を意図するものであつて、一部既存の小売商のみの利益を保護することを目的とするものではない、従つて申請人らが受けるかも知れない営業上の利益は、単なる反射的利益に過ぎないと主張し、そして右措置法と市場小売商との関係は、公衆浴場法の場合の浴場経営者が保護されていることとは異なると称する。
しかし措置法は、その第一条において「この法律は、小売商の事業活動の機会を適正に確保し、および小売商業の正常な秩序を阻害する要因を除去し、以つて国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」と宣言しているゆえんのものは、理念的には国民経済の健全なる発展を企図しているのであるが、現実には小売商人の個々の利益を保護することにより正常な小売商間の企業秩序を維待せんとしているのである。このことは当該事件については一部既存の小売商ではあるが、これを保護しなければ、次第に過当競争は全国に蔓延し、市場小売商業全体の経営の安全がそこなわれ、経済不安が生ずる虞れがあるから、その一部小売商の保護を軽視することができないのである。すなわちこの場合一業者の「保護」なくして全市場小売業者の保護はありえない関係にあるからである。
以上のごとく公共の福祉のための必要から濫立による無用の競争を防止し、小売商の事業活動の機会を適正に確保されるについて、適正な許可制度の運用によつて保護せられるべき業者の営業上の利益は、単なる事実上の反射的利益というにとどまらず、法によつて保護せられる利益と解するを相当とする。
三、被申請人代理人は大阪府小売市場許可基準内規に基づく最短距離七〇〇メートルの制限基準は、原則的な一応の基準であつて購買圏や住宅事情により右原則距離七〇〇メートル以内でも、許可せられる場合(例外として)があるところ、本件の場合は、まさにその例外の場合に属するものであつて、目下被申請人が堺市長を通じ、大阪府知事に対し、許可申請手続をなしつつあるので、やがては知事より許可されるものである旨主張するので検討するに、証人富岡正一同江崎慶の証言によると、申請人らの本件仮処分申請後の昭和四一年四月中に被申請人より大阪府知事宛の小売市場貸付けまたは譲渡許可申請書を堺市長に対し提出されたが、既設の申請人らの市場と購買圏を同じくする本件市場の地域とその周辺の事情を以つてしては、本件のごとき場合は、右許可基準の例外事例に属せず、従つて例外的に許可せられる見込のないものであることは十分これを推察することができ、他にこれを左右するに足る資料がない。
四、更に被申請人代理人は、申請人ら商人の市場収入は年々増大しており、被申請人において、前記許可基準内規に基づく最短距離七〇〇メートルの制限距離内に本件市場を設置しても申請人らの収益を減少せしむることがないから、過当競争にならないのは、もちろん、申請人らの権利を侵害していない旨主張するが、前認定のごとく最短距離七〇〇メートルの許可基準内規の例外事由がない本件の場合、同一購買圏内で有力市場が設置されれば既存市場商店の販売高が減少し、互に顧客争奪のため無用の競争をなし、そのため必要外の出費が嵩んで、営業純益が減少することは当然のことである。しかもこれが過当競争にならないと言うにいたつては、前記法の精神を無視した独善的な議論と言わざるをえない。
しかして成立に争いがない疏甲第一号証同第五ないし七号証および証人富岡正一同江崎慶同北田政太郎の証言により疏明される被申請人は本件建物を建築するに当つて、府の建築課に対しては措置法の適用がないスーパーマーケツト営業に使用する旨の申告をして建築の許可を得、かつ商人を募集するに当つては、「店舗四〇余店、開店四一年三月」「※当スーパーストアーは市場規制法にふれません」なる文字を記載した各種類別商店の配置を図示した有力商人募集なるビラを頒布して、入店商人を募り、あたかも措置法の適用のない市場を開設するがごとく装いながら、事実措置法同施行令所定の指定業種である野菜および生鮮魚介類販売店を含む一〇店舗以上の違法市場をもくろみ(右ビラの配置図に図示されているところにより明らかである)。所定の許可を受けないで、あえて前記のごとく開店し、各商人をして、その営業をなさしめたところをみれば、被申請人は当初より違法なることを認識しながら、本件の措置に出たものに外ならないし、また既存の市場小売商である申請人らの営業を違法に侵害するものであることは、前記述するところにより明らかなものといわざるを得ない。
五、そこで右措置法第三条違反の効力ないし同法の保護を受ける既存市場小売商の利益の性質およびその内容を一瞥するに、措置法は市場の開設を許可制度となし、違法市場の開設を厳禁してその違反者に対しては、重い罰金刑を科することを定めておるものなることは、前述のとおりであるが、当初より法を無視し処罰を覚悟で強いて市場を開設しても、市場閉鎖というような行政上の制裁をなしえないことは、該法の規定自体に徴し、これを是認せざるを得ない。この点はこの法が右のごとき違法に対する防止の目的を十分発揮していないことの原因の一つであることもいなめない事実である。それにまた同法第三条は政令で指定する市の区域内の建物について、市場を設置しようとする者に対し、都道府県知事の許可を受けないで法令で定められた指定業者を含む小売市場とするため、その建物の全部または一部をその店舗の用に供する小売商に、貸付けまたは譲り渡してはならないことを命じている(違反者には同法第二二条により五〇万円以下の罰金に処せられることになつている)のみで、市場設置者とその契約の相手である小売商の双方に対して、賃貸譲渡等の法律行為の締結を禁止したものではない。ただ建物の所有者または建物の支配権者に対してのみ、事実として右のごとき小売商に貸付けまたは譲り渡してはならないことを命じたものであるに過ぎない。いわゆる同法は命令的規則(取締規定)であつて、能力的規則ではない。従つて同法第三条は市場設置者が指定業者を含む小売商に対し、建物の全部または一部を前記目的のために賃貸または譲渡の契約をして違法市場を設置しても、その設置者が処罰の対象となるのみであつて、市場設置者と小売商人との間において、既になされた右賃貸借契約ないし譲渡契約を無効に帰せしめるものではない。されば違法市場を設置しようとし、または、したものに対して有する既存市場小売商人の法的利益は、相対的のものであつて、これを違法市場設置者以外の者に対して主張しえない性質のものというべきである。
六、以上のごとく本措置法によつて保護せられる既存市場小売商の法的利益の性質およびその効力は特許法により認められる特許権者の権利または実用新案法、意匠法による実用新案権、または意匠権のごとき強力なものではないが、法の規制によつて制限地域内に同一種類の企業体が作られないということによつて、受ける経済的利益は、法によつて保護された、いわゆる法的利益とみられるものであることは前叙のとおりであつて、この利益は結局財産的な営業そのものに内包されるのであるから、これを強いて権利概念にあてはめんとするならば、物権ではなく営業権といわざるを得ないが、ともあれこれに対する違法の侵害が不法行為を成立するものであることを是認しなければならない。従つて違法市場設置者がその支配内で既存市場小売商の法的利益に対し、不法に妨害を加えんとする間においては、これが妨害の予防をなす必要があり、これが利益保全のため救済としてなす仮処分の申請に対し、これを保護し、その申請を許容することは、前記措置法の規定の趣旨およびその精神ならびに仮処分の規定に何ら反するものではない。
しかし、本件は被申請人が既に本件建物を市場として完備した上、それぞれ三〇数名の各種小売商人に賃貸して市場を開店し、右小売商をして営業をなさしめておるのであるから、今さら被申請人に対し、本件建物を他人に貸付けまたは譲り渡してはならないとの妨害予防のための不作為命令を発しても、その効果を発揮する余地がない。なぜならば、申請人らの右妨害予防の仮処分の理由が、現状の変更(店舗の貸付とまたは譲り渡し等)によつて将来の執行が不能または、著しく困難をきたすところにあるとの趣旨のようだが、既に現状が変更された(既に右の行為が完了された)とすれば、もはや右のごとき趣旨で保全を図りえないものといわなければならない。結局右仮処分申請の理由である妨害予防の段階は既に過ぎ去つたことにより、右趣旨の仮処分は無意味なものとなつたというべきであるから、申請人らは、もはや右趣旨のごとき仮処分を求める利益がない故右申請はその理由がない。
七、次ぎに申請人らは予備的請求として、被申請人に対し、右のごとく貸付けまたは譲り渡したその相手方の小売商をして、その店舗において営業せしめてはならない、との命令(差し止め請求)を求める旨陳述するが、その市場営業を差し止めんがためには、市場小売商の営業をも差し止めなければならないこととなる。もしそのような差し止め請求を求めんとするならば市場小売商をも相手として求めなければ、その目的を達することができないものであることが明らかである。そればかりではなく前説示のごとく措置法は前記の義務を命じ、これが市場設置規制の対象としているのは、市場設置者のその行為に対してであつて、市場小売商の行為に対してではないこと、および前記のように措置法により認められた既存市場小売商の法的利益の性質およびその効力は、前記特許権ならびに実用新案権等のそれらと異なり、また措置法の規定の仕組みは、不正競争防止法の規定のそれと相違する等より察すれば既に市場設置者において、建物を市場小売店舗として小売商に賃貸または譲渡した以上違法市場であるからとの理由で、賃借人または譲受人の営業を差し止めることを目的とする仮処分を、たとえ違法市場設置者に対してといえども、これを求めえないものと解するを相当と信ずる。
以上説示の理由により申請人らの本件仮処分の申請は、いずれも理由がないので、これを却下することとし、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 依田六郎)
(別紙)
申請人の主張
一、申請人等は堺市百舌鳥赤畑町五丁目三六二番地所在、百舌鳥マーケツト市場(以下申請人市場という)内において店舗を有し、夫々食料品・雑貨等の小売販売業を営む商人である。右市場は昭和三一年三月一五日申請外畑中由松が之を開設したが、昭和三四年七月七日小売商業調整特別措置法(以下措置法という)が施行せられるに及び、同年八月六日同法第六条一項第一号・第二項の届出を大阪府知事になし、同法にいう営業許可を有する小売市場となつた。申請人市場は開店当初は周辺に消費人口も少なく、赤字の経営が続いたが、申請人等の耐乏生活と借金による設備の増改築や経営の合理化により、市場の体質が改善されると共に他方周辺入口も定着してその愛顧をうけ、今日に於ては漸くその経営も軌道に乗り始めるに至つた。
二、ところが昭和四〇年九月中旬、被申請人は申請人市場より最短距離四〇五米、最長距離四六〇米の距離にある申請の趣旨記載の場所において百舌鳥ストアーなる名称を以て小売市場を開設するべく、商人募集を開始し、巳に建物の建築も終り、同市場への商人の入店も目前に迫るに至つた。(尚本件仮処分命令申請に基く口頭弁論が開始せられるに及び被申請人は急拠第一回目の口頭弁論期日である昭和四一年四月一五日以降、第二回目の口頭弁論期日である四月二八日迄の間に前記建物の間仕切りを完了し、商人に店舗を賃貸して同人等を之に入店せしめ、同月二六日右市場を開店せしめるに至つた。(以下口頭弁論期日終結時の状態において主張する。)
三、凡そ政令で指定する指定区域内の建物については、小売市場とするため右建物の全部又は一部を小売商人に貸付け又は譲渡する場合には、都道府県知事の許可を受けなければならない。(措置法第三条、同法施行令)
本件市場の所在地である堺市は右指定地域内にあり(右施行令別表第一)、又右小売市場とは一の建物であつて十以上の小売商(その全部又は一部が野菜及び生鮮魚介類を販売する場合に限る)-同法施行令別表第二-の店舗の用に供されるものを言うが、被申請人の開設している市場は十店舗以上でその中に野菜及び生鮮魚介類を販売する小売商を含むからそれは正しく同法にいう小売市場に該当する訳である。
そうであるならば、被申請人は右市場開設に先立ち、同法第三条の許可を大阪府知事より受けねばならない筈である。然るに被申請人は未だ右府知事の許可をうけていないのみか、その申請さえも本件口頭弁論が開始せられるに及び、急拠一件書類不備のまま堺市役所に提出する始末である。
所で大阪府においては措置法第五条一号の所謂許可の該当基準として大阪府小売市場許可基準内規が定められており、それによると既存小売市場と新設小売市場との最短距離が七〇〇米以上離れていることが一応の要件となつている。勿論、右距離的制限の外に地理的状況・周辺人口の密度・既存市場の生活指数等の事情を考慮することになつているが、一応右距離未満の時は原則として不許可処分となり、例外的に特段の事情のあるときに限り許可となるのが法規の予想するところであり、且又それが過去における実際の運営でもある。
又大阪府通商課及び堺市商工課では、新規市場が開設の準備を始めたときは前記措置法が存在する事実、開設に先立ち、措置法第三条の許可の申請が必要である事実、許可の要件事実等について所謂行政指導を行うのが常であり、本件被申請人に対しても右指導を行つたから(又市場関係者の間では指導の有無に拘らず、右事実は言わば公知の事実であるから)被申請人は何れも右法規の内容・事実等について熟知しているに拘らず、右法規を無視して開設を強行したものである。尚本件口頭弁論が開始せられたが為に、被申請人は許可の申請だけは開店の前日に書類不備のまま辛うじて市役所に提出しその後は許可の可能性があると強弁することによつて違法市場の洛印を免れようとしていることは前記のとおりである。
四、一般に違法市場が開設されるのは、右市場の開設は開設者が違法に対する制裁-罰金刑-さえ覚悟すれば、投資金が少なくしてしかも高率な経済効果をあげ得るという点にある。開設のための投下資本及び当座の過当競争費は開設に際して、入居商人から受領する権利金-それは措置法施行規則第五条により授受が禁止せられているが-によつて十分に賄い得るものであつて、その後は、右施設だけが利得として残存する計算になつている。しかも前記罰金刑の制裁が現実には少額であること、及び前記行政機関の行政指導にも限界があることとあい俟つて、開設者は、市場は仮令違法であつても開店してしまえば勝ちであると言う誤つた先入感を抱いていることが愈々この問題を混乱におとしいれている。
何れにしても、この様な違法市場が開設されると、既存市場とは距離的に近接しているから、消費者圏は共通しており、その結果客引きのための猛烈な商戦が展開されることになる。違法市場は、当初からそのために保有する資金量及び既存市場に較べて相対的に新しい建築物というハンデイを利用して、客引きのための過当サービスと宣伝を実施する。市場は顧客の定着が経営の基礎であり、営業の基盤であるから、客足が遠のき市場がさびれるということは、それが市場の死活問題に連なるだけに、既存市場でも之に対抗して戦はざるを得ない。ここに採算を度外視したサービス合戦が繰り広げられる。何ケ月か後には市場の中の何店かは倒産してその戦列を離れるのが常である。かかる事態の発生は、国民経済上の立場からも放置することのできない重大事である。
五、過当競争の問題点
この様な過当競争について我々は次の三つの側面を考慮しなければならない。その一は過当競争が即ち消費者に対する奉仕となるか否かである。成程一時的には商品が安くなるか、サービス券・招待券等の利益を得ることは事実である。しかしその反面、品質の低下・種類の減少・衛生管理費の削減・サービス費の削減等の形において実質的には商品の割高となつて消費者にマイナスに還元されざるを得ない場合もある。何故ならば、商人は信用が大切であるから顧客に対してはこの様な品質の低下等は極力避けねばならないし、信用を重んずる商人は最後まで自らの犠牲においてのみ過当競争に堪えて行こうと努力するであろう。しかし過当競争が永びけば、出費能力にも限度があるから小売商人も生きんがためには、その出血を最少限度に止めようとする自衛本能は避け難い現象であるからである。又過当競争の結果は商品が必ずしも安くなるとは限らず、寧ろ逆に高くなる場合が多い。何故ならば、消質量が一定しているに拘らずそれを取扱う商人の数が増えると言うことは、商人一人当りの仕入量、従つて販売量も相対的に減少するから、それだけ薄利多売の実践は困難となり、結局個数当りの商品価格は割高とならざるを得ないからである。しかも今後の市場経営のあり方として公衆衛生の向上が不可欠のものであるに拘らず、その点に関する配慮はこの様な過当競争の下では十分に実効を期し難い難点が存在する。
第二に右に関連してかかる過当競争の下に於ては、中小小売市場企業の近代化は到底実現不可能・もしくは困難な状況におかれるという点である。昨今、大半の市場では各ブロツク毎に違法市場対策協議会を設け、相当額の資金を右の対策費に計上している。そのために本来小売市場が直面している設備の近代化・流通機構の改善・サービス精神の向上・経営の近代化等の実現による所謂「よい商品を安く」という目的の達成のための正常な企業努力ヘのエネルギーが過当宣伝費や廉売合戦による赤字補填費のために喰われ、商人の企業努力というものが後向きの、その場しのぎのものに終つてしまう危険が伏在する。企業の近代化はひとり小売市場だけの問題ではなく、あらゆる産業に共通した問題であるが、国民の消費生活に直結し、毎日の家庭の台所の需要と密着する小売市場の近代化は必要緊急事であるに拘らず、その対策及び推進が過当競争のために妨げられているのである。
第三にかかる過当競争によつて第一に損失をうけるものは既存市場はもちろん、新設市場の小売商人自体であつて、決して市場開設者ではないのである。開設者は前記のように権利金・敷金をとつたり、権利を譲渡したり、時価の高謄による利得をうけているし、又小売商から家賃さえ確実に入手しておれば何の損失もないから、小売商人同志の争いには全く高見の見物ですませるわけである。措置法はかかる弊害現実をさけんがための特別立法である。第一条にはその目的として「この法律は、小売商の事業活動の機会を適正に確保し、及び小売商業の正常な秩序を阻害する要因を除去し、以て国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」旨掲げられている。それは理念的には国民経済の健全なる発展を企図するものであるが、現実には小売商人の固有の利益を保護することにより正常なる営業秩序を維持せんとするものに外ならない。しかしながら、この法律も違反者に対しては、罰則として最高五〇万円の罰金が、しかも開設者に対してのみ課せられるだけであるため、現実には法の趣旨もその実効を期し難い点がある。一度違法市場が開設され、商人が入居すると、当該商人に対しては何らの対抗策はなく、反つて前記の通り両者が犠牲者とならざるを得ないし、開設者は罰金の受刑は当初より覚悟の上でかかるものが多い。
之が今や近畿一円に於て違法市場が絶えず生起し、社会問題となつている原因である。
六、被申請人の不法行為
(一) 申請人は前記の通り昭和三一年三月申請人市場を開設して以来、市場の充実と発展に営々たる努力を重ね今日に至つたものである。
その間苦しい経営が続いたが、将来の発展に期待して度々の各種売出しを実施して消費者への利益還元を図つた。しかも近時市場の在り方が公衆衛生の充実と消費者へのサービス精神の徹底にあることが認識せられるに及び、市場自身の体質改善のための具体的な施策が検討実施せられた。
(イ) 先づ個々の市場商人の集合であつた市場を協同組合に組織化し、市場の経営は右法人に於て行うことにした。市場の法人化は市場の土地建物を従来の開設者の手より入居商人等が組合の名において買取ることを容易ならしめるのみならず、商人自身の自立意識と連帯感を強めるのに役立つている。現に申請人等は昭和四一年四月九日協同組合設立の許可をうけ、四〇年十二月十五日右市場を従来の所有者畑中由松より金壱千万円で買取ることに成功した。
(ロ) 又右買取は次に設備の近代化のための増改築を実施するのに役立つている。即ち、商人等が増改築の意思をもつていても所有者は右要求に応ぜず、仮令応ずるにしても、家賃の大巾値上げを交換条件として提示するため、事実上は仲々実施し難い点があつたからである。
申請人等は右買取のための福徳相互銀行堺支店よりの資金借入金の返済期限である昭和四三年十月頃を目標として次の根本的な店舗の増改築を検討中である。(尚右借入金の返済は従来申請人等が開設者に対して支払つていた家賃に多少の上積みをすることによつて可能である。)
(ハ) 急を要するものとして共同の焼却炉・塵埃処理場を建築するための隣地の所有者と借地若しくは買取の交渉中であり、右交渉が成立し次第直ちに着工の予定である。この他周辺道路の整備・大型冷蔵庫の設置等も同時に実施するべく準備中である。
(ニ) 法人化に伴い、流通機構を改善して共同仕入の実施及びそれに伴う人件費の削減により買入価格を引下げ、それだけ販売価格を引下げることに努力する。現に菓子部門に於て之を実施中であり、将来は実現可能な全商品に推及する予定である。右のように申請人等の市場は今日迄設備を近代化し、公衆衛生の充実を図り、流通機構を改善し、経営を合理化するための営々たる努力を重ね、現在は市場の近代化の実現への脱皮期にあるものと言える。それは過去幾年もに亘る犠牲と将来の努力の結晶によつて始めて結実するものであるが、現在においては、やつと右目標を実現し得るだけの客観的な基盤を備えるに至つたものと言える。それは現象的には市場周辺の消費者人口の定着という形で表現されるのである。
即ち、開店当初は消費人口との関連において必らずしも立地条件は恵まれたものではなかつたが、市場の発展と共に周辺人口も漸増し、今日においては、やつと採算点に達する迄の消費者人口を有するに至り、その経営も漸く軌道にのり始めるに至つた。このように市場の発展は住民に依存すること極めて大であるが、反面丁度鉄道の敷設が当該地域の発展をもたらすのと同様、市場の開設が地域社会の発展に寄与することも無視し得ないものがある。このような周辺住民の定着というものと相即不離の関係にあることがこの種市場企業の特殊性と言える。
(二) 小売商業調整特別措置法は小売商業の配置の適正を確保し、以て無用の競争によつて経営が不合理化することのないよう小売業者を保護し、且それがひいては国民経済の健全なる発展に寄与するとの理念の下に制定せられた特別立法であるが、被申請人は右法律の規定に違反し、不正競争の目的をもつて無許可市場の開設を強行せんとするものである。それは単に形式的に右法規に違反するのみならず実質的にも申請人等が多年に亘つて築きあげた営業上の基盤を掠奪せんとの不法の目的を有することは明らかである。-既存市場の周辺には巳に採算点に達する消費者人口が定着しているから、その近隣に市場を開設して既存市場を倒すことによつて容易に同人に代つて右商圏を手中に収め得るものである。又かかる地理的条件の下では開設市場の入居商人から多額の権利金を入手できるし、又そうするのが通常であるから、既存市場との競争に要する軍資金は十分に留保している訳である。現実的にみても両市場の優勝劣敗は何れが採算点を度外視した出血競争に耐え得るだけの資金を留保しているかによつて決定される場合が多い。永い目でみた消費者の利益と密着した真のサービスの如何による正常な企業活動の下における競争ではなく、その場しのぎの一時的な安売・招待合戦がこの種競争の特色である。従つて新しい建物と豊富な資金量を有する者が競争の前提において有利な条件にあることは自明の理であり、彼等はそれを武器として或程度消費者人口が存在し且既存市場が発展途上にあるが、未だ施設面・資金面共十分成熟しきつていない市場のある場所をねらつて開設を試みる訳である。
それが又最も労少なくして効果のある方法であることを彼等は知つている。又市場開設のためにはその方法の如何を問わない。被申請人は本件市場の建築に際して府への建築確認申請書を提出したが、その時、本法違反の市場は開設しないという誓約書を入れている。
然るに現実には右誓約に違反して本法違反市場を開設せんとしているのである。
以上の如く被申請人は(違法)市場を開設すれば、過当競争を生じ、その結果申請人等の営業が重大な危機に頻して倒産に至るかもしれないことをしりながら、前記措置法に違反して市場を開設し、且入居商人をして営業せしめることにより、申請人等の営業上の権利若しくは利益を侵害せんとするものであつて不法行為を構成することは明らかである。
七、申請人の法律的主張
(1) 申請人は次の通りその営業に関して物権・企業権もしくは法的利益を有するから、その効果としての妨害予防、もしくは排除請求権が発生する。
(一) 物権
一般に申請人等は小売市場内において小売商人として自己の営業に関し、営業財産その他営業活動に伴う一切の有形無形の価値の総体を有するものである。それは過去における営業活動の結果の沈澱分として定着した顧客層を有し、この顧客獲得可能性が右価値の中核をなすものであるが、更に前記措置法によつて、行政処分(府知事の許可を指す)によつてする以外何人も小売市場の競業を為し得ないと言う法的保障を享有するものである。従つてかかる営業の上には当然物権が認められるべきである。
(二) 侵害の対象としての企業権
仮に申請人等が右物権を有しないとするも、申請人等は所謂侵害の対象としての企業権を有する。
一般に流通の対象たる企業と、侵害の対象たる企業とはその対象が異なることをツトに提唱されたのは鈴木教授であり(法学協会雑誌五九巻九号一四三五頁以下)、同教授によれば、この区別の根本的理由は前者に於てはその企業の所属の変更が問題であるのに対し、後者に於てはその機能の侵害が問題であることにある。即ち、前者に於ては所属の問題であればこそ、取上げられるのは客観的なものに当然限られるが、しかしそれが組織体の構成に必要と認められる総ての部分を一体として包括しなければ意味をなさないのである。
而してその組織体が現に形成され、実際上譲渡の可能性を有すべきこともこれ亦当然のことである。しかるに機能の問題である後者に於ては、主観的な活動としてこれをとらえることもその意味に於ては自然であり、又客観的存在としてこれをとらえる場合にも、侵害をうけたその部分の問題として取り扱えば足りる故、組織体の全部を包括することを要しない。しかもその客観的存在も、既に立派に形成された営業組織がなくとも、その機能によって利益を収め得べき可能性の基礎たる事実さえあれば、それで充分なのである。
かようにして流通の対象たる企業の上に権利を肯定することとは包括的な一体たる財産の上に権利を肯認する問題であるのに対し、侵害の対象たる企業の上に権利を認めることはその一部の、しかも侵害に対する保護との消極面に関する問題にすぎない。
故に前者を否定して後者を肯認しようとも、何ら矛盾しないと共に、反対に後者の肯認が当然、前者の肯認を導くものともなし得ないのである。
以上により、侵害の対象たる企業が流通の対象たる企業と相違するものであることが明らかとなつたが、前者即ち侵害の対象たる企業について認められる権利性質について考える。
それは人格権と認めるにせよ、無体財産権と認めるにせよ、その内容が明確であつて、之に対する侵害が当然不法行為を成立せしめるような絶対的な権利ではなく、その為には、更に特別に違法性の存在を要求する種類の権利である。
故にこの意味に於ては通常の人格権乃至無体財産権と異る種類のものである。而して更に人格権と見る場合にも、それが純粋の身体的又は精神的利益に関せず、結局は財産的利益の問題に過ぎない上、自由権と関連させるにしても、それが活動自体の保護ではなく、むしろその効果の保護を問題とし、更に場合によつては活動自体に対しては直接何らの侵害が加えられないこともある。従つて純粋の人格権と相違するわけであるが、しかし他面に於て無体財産権とみることも、上述の如く過去の活動の結果沈澱した価値が存在しないでも、将来活動によつて効果を収めるべき事実基礎が存在すれば、足りる上その譲渡性を必らずしも本質としないから、これ亦純粋の無体財産権と相違するわけである。故にかかる特殊なるものを人格権又は無体財産権の範疇に入れ得べきかはそれらの権利の本質如何にかかわる問題であるが、逆にこれを人格権又は無体財産権ということにより、以上の結果を否定してそれらの権利の通常の効果に帰そうとするならば、これ明らかに本末顛倒する議論である。
これを要するに申請人等は何れも小売市場の小売商人として右の意味における侵害の対象たる企業に関して認められる企業権は、当然これを保有しているものであり、被申請人の行為により、右権利が侵害をうける危険にさらされていることは明らかである。
(三) 法的利益
仮りに申請人等が右物権乃至企業権を有しないとするも、申請人等は本法によつて保護せられた法的利益を有する。即ち本法は第三条により営業許可をうけた小売市場開設者のみから、しかも右営業許可申請書に記載された条件及び添付された契約書に記載された条件により、賃借り乃至譲渡をうける保証があり(本法四条)、更に本法は許可なく小売市場を開設する等の行為に対しては刑罰を課せられる等、不正手段により小売商人の営業活動を阻害する者の排除を宣言している(本法二二条・二三条)。従つて営業許可を得た小売市場開設者より適法に店舗を借りうけた申請人等は、単なる反射的利益に止まらず、特別法たる本法により保証された特別の法的利益を有する。右事実は次の判例により論証される。即ち
無用の競争により経営が不合理化することのない様、濫立を防止することが公共の福祉のために必要であるとの考慮を有する為、開設につき許可制度を採つている点に於ては本法と全く同様な関係にある公衆浴場法の第二条(但し内法が国民保険及び環境衛生という公共の福祉面にも考慮を払つていることは勿論である)に関する最高裁判所昭和三三年(オ)第七〇一号・同三七年一月一九日第二小法廷判決がそれである。
よつて申請人等が本法により特別の営業上の法的利益を有することは疑がない。
(2) 次に被申請人は前記の通り、大阪府知事の許可なくして小売市場を開設し、右市場内の店舗を第三者に貸付もしくは譲渡すれば、無用の過当競争が生じ、その結果申請人等の営業が著しく不安定になるおそれがあることを十分知り乍ら、右店舗を小売商人に貸付け、同人等をして右店舗内で営業せしめることにより、申請人等の営業上の利益を侵害し、よつて申請人等に損害を加えるものであるから、不法行為を構成することは明らかである。よって申請人等は被申請人の不法行為に対する差止請求権を有するものと解する。
(一) 一般に差止請求権の認められる根拠として二つの考え方がある。
(イ) 被害法益を何らかの排他的支配権として構成する方法。この場合、被害法益が物権である場合には、物権の排他的効力として最も明解である。
(ロ) 物権的請求権を物権の独占物と考えずに権利一般の効力として、すべての権利に侵害除去の請求権を認めるもの。
(二) 判例は古くから債権に基く妨害排除の請求権を認めており(リーディングケース大判大正十年十月十五日、民録二七輯一七八八頁)、学説としても物権的請求権の根拠は、権利の不可侵性であり、すべての権利に侵害除去の請求権を認めるべきだとの見解がかなり有力に主張されている(末広前掲判民大正十年一四八事件評釈、同「民法雑記帳」二二八頁以下、二三六頁以下、柚木判例物権法〔八〕二(ロ)、同判例債権法総論〔三〕(二)(ロ)等)。もつとも妨害除去請求権を認めるのも、物権と債権とを全然同一視する訳ではない。権利の侵害が妨害除去の請求権を発生させるには、侵害が違法でなければならないが、その違法性の認められる条件が債権では物権よりも厳重になるとするのである。
これを要するに権利侵害行為の違法性が弱き場合は、物権その他の排他的効力の認められる権利の侵害の場合のみ差止請求権が認められるに過ぎないが、侵害行為の性質・態様が非常に高度の違法性を有する場合は、債権その他の法益に対する侵害の場合に於ても、差止請求権が認められるということになる。
しかし一歩進めて、物権や債権の権利の性質論をこえて、差止請求権は、元来違法に対する法の反動として「権利」侵害の有無に拘らず、違法一般に対して侵害除去の請求権を認めるべきであると解する有力なる説があり、之を支持する学説も増加している(前掲末広博士の評釈を始めとして、四宮和夫「不正競争と権利保護手段」法律時報三一巻二号、小野昌延註解不正競争防止法六八頁)。
不法行為に於て「権利」侵害理論より、違法性理論に移つた今日、差止請求権の本質も又違法性に対する法の反動と考えなければならないであろう。
事実上侵害を為す者ある以上これを排除するが為には、何らの排他性を必要とする訳はない。其事実的侵害行為が「違法でありさえすればよいのである。権利を侵害するは法の禁ずる処である。従つてその禁を犯して権利を侵害する者あらば、不法行為を理由として「賠償請求権」が生まれる。併し既に損害が生じた場合は賠償が許されるならば、何故に其「損害」発生を予防すべき妨害除去の請求を許さないか。しかも前記の通り不法行為理論に進化した今日、具体的な「権利」の侵害を伴はずとも違法-それは強度の違法性を必要とすることは勿論である-なる侵害に対しても又同様でなくてはならない。この様な考え方は、過去の違法な結果について原状回復を認めようとするものではなく、従つて民法七二二条一項の原則に抵触するものではない(前掲四宮論文)。
結局法は違法に反ぱつし、その速やかな除去を求めるものである。従つて違法な行為又は状態によつて損害をうけている者又はその恐れのある者は、その除去又は予防を、違法な行為をなす者又は違法な状態を支配する者に対して請求することが認められなければならない(その際行為者の故意過失は必らずしも必要ではなく、単に違法であることを以て足りると解すべきである)。
当面の問題たる不正競争の違法性を判断するには、客観的な営業組織の存在・侵害行為の態様・主観的な責任状態を綜合し、一つの要素が弱い時は他の要素を強く要求する様ににらみ合せて妥当な解決を期すべきことになろう(鈴木前掲)。
しかし、とも角この理論によれば、不正競争のあらゆる場合に対して差止請求の道が開かれることになる(四宮前掲)。
(三) 不法行為に対して差止請求が許されるか否かについて、之を正面から具体的に論じた判例については私は未だ寡聞にして之をしらない。恐らく金銭賠償を原則とする我が法の下に於ては、原則的には否定するのが一般の傾向であろう。然しながら、侵害される権利若しくは利益、及び侵害行為の違法性の態様によつては、之を認めるべきであり、之を認めることが我が国の不法行為理論に於て、充分可能であることは前述の通りである。以下この問題に関する若干の判例を示すと
(イ) 弓道界における日置当流師家の名称が、一定の人格の表象であるとして、僣称者に対して使用差止請求を認容した事例がある(岡山地裁昭和三八年三月二六日下民集十四巻三号四七三頁以下)。
右事例は少なくとも人格権-氏名に類似するもの-という未だ充分に論証されていない被侵害法益につき、不法行為の効果として、差止請求を認めたものとして注目に値する判例である。
(ロ) 次に所謂プライバシーの権利の侵害による不法行為-所謂小説「宴のあと」事件がある(東京地裁昭和三九年九月二八日、判例時報三八五号一二頁以下)。
本件では直接差止請求権が問題とならなかつたためか、傍論としてしか之にふれていないが、少なくとも不法行為の効果として差止請求の認められること、しかも被侵害法益が必らずしも物権的権利として確認せられていないものにつき、これを認容した点が注目されるのである。
八、申請人等は近く御庁に対し、前項の法律的主張に基き本訴提起の準備中であるが、本案判決までに貸付契約が終り、小売商人が入居することになれば、申請人等は甚大なる損害を蒙り(尤も本件では口頭弁論開始後、貸付契約を終り商人をして営業せしめていることは前叙の通りであるが、仮令営業が開始せられていても、右貸付又は営業を継続せしめることにより、申請人等の蒙る損害は同様である。)ひいては申請人等の生活にも脅威を来すおそれがあるので、右貸付の差止めを求めるため本申請に及んだ。
(別紙)
被申請人の主張
一、申請人等がその主張の如き小売市場で小売商を営む者であること、被申請人が申請人等主張の如き建物を所有することおよび申請人等の主張のとおり右市場と右建物との間隔が最短距離四〇五米最長距離四六〇米であることを認めるがその余の申請人等の主張は争う。
二、被保全権利について
(一) 申請人等は被申請人に対して申請の趣旨記載の如き請求権を有しない。申請人等はその主張の小売市場において各別に小売商を営むについて本件措置法によつて営業上の利益を受けるかもしれないが、本法は一部既存の小売商のみの利益を保護することを目的とするものではなく、小売商業全体の経営の安定を意図するものであつて、申請人等の受けるかも知れない営業上の利益は、単なる反射的利益に過ぎず、法的に保護された利益とは認められない。質屋営業法に基く営業許可により既存の質屋営業者が有する営業上の利益は法的利益でない、とするのが判例である(昭和三一年(オ)第一〇六六号最判)(最高裁判所判例解説民事篇昭和三七年度第一一頁)。申請人の援用する最判昭和三三年(オ)第七〇一号の公衆浴場法に基く既存の浴場経営者の営業上の利益は法的利益である、という見解は、第一に国民保健及び環境衛生という公共の福祉、第二に過当競争の防止、をあげており、しかも第一の目的を主としていることから、前記質屋営業法に関する判例と矛盾することはないとされている(前掲書一一頁)。そうだとすれば、本件措置法も質屋営業法と同じく単に過当競争の防止を目的とするにすぎず、従つて援用さるべきは質屋営業法に関する判例である。申請人の援用する判例は本件に適切ではない。
(二) 更に措置法第五条第一号の「過当競争」によつて申請人等の「経営が著しく不安定となるおそれ」があるか否かの判断は昭和三四年に定められた大阪府小売市場許可基準内規に基く最短距離七〇〇米の制限に従つているか否かという形式的な基準のみを資料とするものではない。
(a) 富岡証言によれば措置法第五条第一号の趣旨要するに過当競争の防止という点にあるのであつて、七〇〇米というのは一応の基準であつて必ずしもこれに拘束されず、例えば購買圏や住宅事情は例示であつて制限列挙ではないと考えられる。本件においては市場の周辺が人口増加の途上にあるということで、七〇〇米よりも狭くして差支えないという例示事実が存すると考えられる。
(b) 申請人北田政次郎の供述によれば、申請人等は昭和三五年以降黒字経営を続け、最高の所得者は昭和四〇年度で約一〇〇万円、最低の所得者でも昭和四〇年度で約二五万円であり 昭和三五年以降申請人等主張の市場の周辺は人口増加の一途をたどり、将来も増加する傾向にあり、また申請人の昭和四一年四月二〇日付準備書面第八丁によれば、申請人等は昭和四〇年一二月一五日申請人等主張の市場を金一千万円で買取り、右買取のための借入金債務を昭和四三年一〇月頃までに返済する能力をもつており、右借入金の貸付先福徳相互銀行堺支店の信用があること、及び焼却炉、塵埃処理場のための隣地買取りまたは借入の計画をたてている等、より考えて申請人等の所得及び将来の売上計画は相当な大規模なものであることが窺われ、被申請人の小売市場が出現しても「過当競争」によつて申請人等の経営が著しく不安定となるおそれがあるとは到底考えられない。然るに申請人等は措置法第五条の許可の基準を実質的に考えずこれを形式的に考えわずかに二五〇米の距離の不足のみをとりあげて被申請人の市場は絶対に許可を得られないものと独断し、以て既存業者としての既得権を不当に形成しようとする意図を有しているものといわねばならない。被申請人より提出の措置法第三条の許可申請は必ず容認されるものと確信しているものである。
(c) 措置法の規定自体及び富岡証言によれば、違法市場であつてもその違法が悪質な場合に限つて刑罰に附するだけで、市場閉鎖というような行政上の制裁はできず、行政庁が単に指導監督するという程度にすぎない。とすれば措置法は取締法規でもなく、従つてまた強行法規でもない。よつて被申請人の本件市場設置行為が違法であつても訴訟によつて無効になつたり、又は取消されたりする等の不利な結果を招来するものでない。
(三) また申請人等が受けるかも知れない営業上の利益(単なる反射的利益)を侵害する者(被申請人は前述のとおり侵害するとは認めない)は、本件店舗を占有して小売商を営む三七名の小売商人であつて被申請人ではない。従つて被申請人に対する関係において右利益の侵害を主張するのは失当である。
三、保全の必要性について
第二項の(b)の通り申請人等の所得状況及び将来の売上計画、両当事者の市場の周辺の発展状況から考えて、被申請人の市場が出現しても、申請人等の売上げが著しく減少するとは考えられず、従つて保全の必要性がない。
四、被申請人は、その所有の市場建物の建築が完成したので、本件仮処分申請前に成立した被申請人と市場商人との間の店舗賃貸借仮契約に基いて本契約を締結し、昭和四一年四月二五日までに右契約に従い野菜を小売する商人二名および生鮮魚介類を小売する商人二名を含む三七名の小売商人に対し右賃貸店舗の引渡を完了し、同日措置法第三条の許可申請をなしてこれを受理され、翌二六日右小売商人三七名は右賃借店舗において一斉に物品販売業を開始して現在に及んでいる。従つて、若し申請の趣旨のような仮処分決定がなされると、右商人等は甚だ大きな営業上の損害を蒙る虞れがあるので、本件仮処分の申請はその利益を欠くものである。